MOVINVOL8


高岡には、デザイン・工芸系の高校と大学がある。一つは創立106年の伝統を誇る高岡工芸高校。そして、もう一つは開学16年目を迎える高岡短期大学。両校は歴史の差こそあれ、創立時から、ともに銅器、漆器、木工、アルミなど、高岡やその周辺の地場産業と強い関わりを持つ。地域の産業とデザインとの関係が深まっていくなか、学校におけるデザイン教育に、新しいムーブメントが生まれている。
左記:瑞龍時周辺の環境デザイン「みやげもの屋八丁」の縮尺模型
 [ デザイン教育は、人間教育 ]
 「工芸高校」と名のつく高校は、全国に五つしかない。なかでも明治二十七年に誕生した高岡工芸高校は、百六年という最古の歴史を持つ。全国に先駆けて高岡に工芸高校が誕生した背景として、銅器、漆器などの伝統工芸が古くから発達していたことがあげられる。初代校長には、日本の工芸教育の大先覚である納富介次郎氏を迎えている。歴代校長をはじめ、教職員には美術工芸家を配し、これまでに数多くの優れた人材を芸術、工芸、産業界に輩出してきた。
 「学校は地域があってこそ成り立つ。地域で多くの卒業生が活躍していることは、たいへん名誉なことだ」と語る同高校の八十田正俊校長は、伝統工芸を今に生かす工芸教育に尽力を注ぎ、地場の匠の技との連携を図っている。それは、伝統工芸にとどまることなく、地場産業を意識した授業へと広がりをみせている。
 最近の授業では、デザイン科の環境コースで行われた高岡市の街並みの再考がある。その中で、三年生の坂本洋子さんを含む八名は『瑞龍寺周辺の環境デザイン』に取り組んだ。瑞龍寺に着目したのは、国宝に指定されたことと、周辺はもっと魅力的なゾーンになると感じたからだ。リサーチを重ねた結果、テーマは子供からお年寄りまで幅広い年齢層の人々が集う街づくりに設定。
 このプランでは、瑞龍寺を出てすぐ資料館があり、店が軒を連ねる通称”おみやげ屋さん通り“が見えてくる。通り沿いには茶店や公園を設置するなど、心が安らぐ空間を演出している。建築物は、瑞龍寺との調和を意識し、すべてシックにデザインされている。「アイデアのキャッチボールをしながら発想がふくらんでいく、その瞬間が一番盛り上がるんです。意見をまとめるのは大変でしたが、面白みは増したのかもしれません」(坂本さん)。
 「この授業の一番の特長はグループワークを取り入れたことです。制作の過程でデザイナーはチームの一員として役割を担います。だから、自分の考えを論理的にまとめ、人に伝える力がなければ仕事を進められない。それに、デザインとは社会に貢献するためにあるものです。それをきちんと理解して、人間関係がうまくできるようにならないと。デザイン教育は同時に、人間教育でもあると考えます」と説明するのは、同高校のデザイン科長の吉川信一氏。人と人とが刺激し合い、情報をやり取りすることがモノを生み出すという大切な要素に目を向けたと言えよう。

富山県立高岡工芸高等学校
明治27年(1893年)、木材彫刻、金属彫刻、鋳銅、 漆の4学科を持つ富山県工芸学校として開校。以来、幾多の変遷を経ながら現在は、機械、電子機械、電気、化学工業、建築、工芸、デザインの7学科で構成されている。卒業生であり、また校長(5代目)を務めた国井喜太郎氏は、日本の産業デザイン界の大家。今日の産業デザイン隆盛の基盤をつくり、現在のデザイン界に多くの人材を送り出す役目を果たした。その所信を受け継ぎ、プロダクトデザイン及び工芸に関して優れた業績をあげた人々を顕彰するため、昭和48年に「国井喜太郎産業工芸賞」(工芸財団主催)が 制定され、毎年、顕彰事業が行われている。
瑞龍寺周辺の環境デザイン「みやげもの屋八丁」「茶店」の説明パネル
テーブル席と小上がりの試食コーナーを設けたみやげもの屋。観光客に高岡の特産物の魅力をいかにアピールするかを探った作品。
国立高岡短期大学
高岡とその周辺地域の地場産業の育成を目的に昭和58年(1983年)、開学。2年制の学科と学科卒業後に進学できる2年制の専攻科で構成されている。なかでも産業工芸学科は、金属工芸、漆工芸、木材工芸、産業デザインの4専攻を置き、伝統工芸を継承し地場産業における技術の向上に貢献する人材育成を図っている。その成果は、全国の公募展における在学生、卒業生の功績からも見てとれ、ことに高岡'98クラフトコン ペでは、グランプリ、奨励賞、ほか多数の入賞、入選を果たした。
共同授業で学生が制作した時計